Jennifer Batten
ジェニファー・バトゥン(ギタリスト)


Jennifer

1957年11月29日、ニューヨークに生まれる。父は医師、母は教師、3人姉妹の末っ子。ジェニファーがギターのレッスンを受け始めたのは8歳の時。姉のギターに興味を持ち、自分のギターが欲しいとねだったのがきっかけだという。

「私はラッキーだった。父がカッコいいエレキ・ギターを買ってくれたんだから…ほとんどの子供たちはアコースティック・ギターを買ってもらうでしょ。でも私はテレビで見かける様なカッコいいのを持ってた。エレキ・ギターのイメージそのものに惚れ込んじゃったわけ」。

最初に影響を受けた音楽はビートルズとモンキーズだったという。家族と共にサンディエゴへ移り住んだ後も、ジェニファーは大学でギターの勉強を続けた。大学ではジャズのビッグ・バンドにて演奏。サンディエゴの実家へ戻るまでに彼女は、全米トップ40からジャズ・フュージョンまでありとあらゆるジャンルを弾きこなすまでに成長し、ロサンゼルスのギター・インスティテュートを主席で卒業した。彼女のバンドのベーシスト、ブレット・ヘルムがロスへ移住、元セックス・ピストルズのジョニー・ロットン&パブリック・イメージのライヴに参加したのに伴い、ジェニファー始めバンドのメンバーたちもそれに続いたのであった。

「私たちは考えた…ああ、ここから(ロスへ)出て、ああいったすごいライヴに参加しなきゃ!って。私自身もそう考えたけど、すぐには実行しなかった。ロスに移ったのは84年で、ジャクソンのツアーに参加したのは87年だし」



Qどうやってマイケル・ジャクソンのツアーのリード・ギタリストになれたのですか?

JBオーディションを受けたの。他の100人もの人たちと一緒にね。


Q何を演奏したか覚えてますか?

JBええ。何だか変だったんだけど、彼らはちょっとしたリズム・ギターを聴きたがってて、しかもバンドは用意されてなかった。他に雑音の無い中で、演奏したの。自分で作ったファンク・ナンバーで始めて、「ジャイアント・ステップス」という曲のソロ部分を弾き、そして最後に「ビート・イット」のソロ部分で締めくくった。多分彼らは、こいつは使える、と思ったんじゃない?


Q合格の知らせはどうやって受けたのですか?

JB数日後に電話で「マイケルが君に興味を持っている」って連絡を受けたんだけど、まだこれからバンドとしてのオーディションも受けなきゃならなかったから、まだ不安だった。彼らに言われたのは「君はイメージ・チェンジする必要がある」って事。私はその当時、茶色の髪でメガネをかけていたの。私は言った。「お望み通り、何でもやります」って。彼らは「1年半、時間を取れるか」と聞いてきたから「どこへでも行きます。どんなに長い期間でも。心の準備は出来ています」と答えた。

リハーサルは2ヶ月にも及び、そして私は日本へやって来た。だけど、私が採用されたなどと正式には告知されてないの。ツアーの初めの頃は不安でしょうがなかった。シェリル(・クロウ)と私は、私たちクビになるんじゃないかって考えてた。だってマイケルは、どんなに私たちがいい演奏をしていても、近寄って来て何か言ってくれる様な人ではないんだから!彼からのコメントは、私たちが何かミスを犯した場合のみ…ほとんどは音楽監督を通じて知らされるの。

私たちはマイケルに会う1ヶ月前から、音楽を吸収する為にものすごい練習をした。私たちが彼と初めて顔を合わせたのはユニヴァーサル・スタジオ内にある、プロダクション所有の巨大なステージでの事。みんなうまくやってる様に見えたけど…この厳しい芸能界では、悪魔の様な声で「このヘタクソ!」とか言われる事もしょっちゅう。私たち、いつだってほめてもらいたがってた。


Qまた、マイケル・ジャクソンのバンドのメンバーになりたいですか?

JBそれはどうだろう…?この前のツアー(Dangerousツアー)の直前、私は「いいえ」と言ったんだけど、最初のツアーがとても楽しかったのを覚えてたから、結局また参加したの。本当に楽しいツアーだった。実際、私たち3年振りに集まって「ロスコーのチキン&ワッフル」で朝食会を開き、それぞれが最近どうしてるか確認し合ったばっかり。このツアーでは誰かが私の代役を2年半もの間つとめる予定だったの。それってちょっとガッカリ。長い間、仲間に入れないんだから。


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