Ebony magazine 2007

Michael

2007年9月24日、ニューヨークのブルックリン美術館でマイケルはブラック・カルチャー専門誌「エボニー」12月号のインタビューに応じた。アルバム「Thriller」が発売から25周年を迎え、50歳を目前に控えたマイケルが、その思いを語る。


−すべてはどのようにして始まったのですか?

MJ 8歳の頃だったかな、サミー・デイヴィス・ジュニアが僕をクインシー・ジョーンズに紹介してくれた。サミーがクインシーに僕の事を「こいつは大した奴だぞ、凄いんだ」と言ってた。決して忘れないけど、この件は無意識のうちに心に留めていた。これを言うのは今回が初めてじゃないかな。

でも、数年後にモータウンがThe Wizという映画の準備をしていた時、またクインシーと会う事になるとは思ってもみなかった。ダイアナ・ロス、僕、ニプシー・ラッセル、レナ・ホーンも一緒だった。ベリー・ゴーディーが僕にカカシの役を勧めてくれたから、出演したんだ。ここでクインシーは音楽を担当していた。クインシーの名前は聞いた事があった。インディアナにいた子供の頃、父がよくジャズのアルバムを買ってたから、彼の事はジャズ・ミュージシャンとして知ってたんだ。

この映画を作ってから…撮影中、僕らは凄く親しくなった。彼はいくつかのセリフを理解するのを助けてくれて、本当に父親のようだった。撮影後、思い切って彼に電話をかけてみた。僕はシャイな人間だからね。特に、人から話しかけられている時でも、僕は相手を見る事すらしなかった。別に冗談を言ってるんじゃないよ?

それで言ったんだ。「アルバムを作ろうとしているんだけど、例えば…プロデュースしてくれそうな人や、僕と一緒に仕事をしてくれそうな人を推薦してくれる?」。彼はちょっと考えて、こう言った。「私にやらせてみるってのはどうだ?」。僕は思ったよ、「何故だか知らないけど、それは考えてもみなかった」。たぶん、彼を父親以上の存在と見なして、ジャズ畑の人だと思っていたからだろうな。だから彼にそう言われて「うわぁ、それは凄い」と答えたよ。クインシーとの仕事で素晴らしい点は、自分のやりたいようにやらせてくれるところだ。彼は邪魔をしてこないんだよ。

彼との始まりはOff The Wall、僕らの最初のアルバムだ。スタジオにはロッド・テンパートンが傑作を持ってきた。彼はドイツのヴォルムス出身の小柄な男なんだけど、彼が持ってきたのが「ドゥン、ダカダカ、ダカダカダカ」、メロディとコーラスも含めたRock With Youだった。僕はもう「うわぁ〜!」って感じで、これを聴いたら「よし、僕も今から頑張らなきゃ」と思ったね。それで、僕が最初に持ってきたのが自分で書いたDon't Stop 'Til You Get Enoughだった。Off The Wallの中で、僕は3〜4曲は作ったと思う。それからはロッドが何かを出すと僕も何かを出し、それはちょっとした友好的な競争だった。

そんなやり方が大好きなんだ。ウォルト・ディズニーの仕事ぶりについてよく読んだものだよ。バンビなどのアニメを作る時は、部屋の真ん中に本物の鹿を連れてきて、アニメーターたちに様々なスタイルの絵を描かせて競わせたそうだ。誰が描いたものであろうと、ウォルトは気に入った絵を採用した。これはある種の競争で、友好的なものではあるんだけど、やはり競争なんだよ。より良い結果を生み出すからね。だからロッドが何かを持ってきたら、僕も何かを持ってくる。すると彼も何かを持ってくるから、僕もまた何か違うものを持ってくる。僕らはこうして素晴らしいものを作っていった。

−Off The Wallの後、82年の春、Thrillerのためにあなたはスタジオへ戻ったんですね。

MJ Off The Wallからはナンバー1ヒットが生まれた。Don't Stop 'Til You Get EnoughとRock With You。それからShe's Out Of My Life、Working Day And Night。グラミー賞にもノミネートされたけど、状況には不満だった。僕はもっとやりたかったし、もっと表現したかったし、もっと魂や心を込めたかったんだ。

−それはあなたにとって転機だったのですか?

MJ 完全な転機だね。子供の頃からずっと、僕は作曲を学んできた。僕に最も影響を与えたのはチャイコフスキーだった。もちろん、ドビュッシーも大好き。くるみ割り人形組曲のようなアルバムを聴けば、すべてが傑作だ。すべてが、だよ。だから僕は考えた。「何故、傑作ぞろいのポップ・アルバムができないのか…?」。みんな、1曲だけいい曲を作って、残りはB面扱いの曲(「アルバム・ソング」などと呼ばれたものだ)で埋めたアルバムを出していた。だから僕は考えた。「何故、すべてをヒット曲のようにできないのか?何故、すべての曲を、シングルとして出したら人々が買いたくなるような素晴らしいものにできないのか?」。だから、僕は常に努力した。それこそが次のアルバムの目標であり、本来の趣旨だった。僕は自分の求めるものすべてを出したかった。そのために頑張ったんだ。

−では、制作過程は計画的なものだったのですか?それとも、自然に発生したようなもの?

MJ 僕はかなり入念に準備したよ。たとえすべての曲が意識的に生み出されたものだとしても、それは宇宙で作られたものなんだよ。それでも、ひとたびうまい具合に化学反応が起これば、魔法が生まれるんだ。そうあるべきなんだ。それはまるで、脳の片方にいくつかの元素を放り込むと、もう片方で魔法が生み出されるようなもの。これは科学なんだ。そこへ優れた人々の力を取り込むと、とにかく素晴らしくなる。

クインシーは僕を「スメリー」というニックネームで呼ぶ。スメリーというのは…スピルバーグにもそう呼ばれるよ。当時、特にあの頃は…今は汚い言葉も少し使うけど…でもあの頃の僕は(「ファンキー」などの)汚い言葉は決して使わなかった。僕がよく言ってたのは「これはスメリーな曲だね」。夢中になるぐらい凄い、という意味なんだ。それで彼は僕をスメリーと呼んでいた。

でも、そうだね、クインシーとの仕事は実に素晴らしいものだった。彼は新しい試みもさせてくれるし、好きなようにやらせてくれるし、音楽に関して見守ってくれているぐらいの天才だし、もし楽器を加える必要があれば、彼はそうしてくれる。彼はちょっとした事にも耳を傾けてくれる。例えば、Billie Jeanで僕がベースのフレーズやメロディ、全体的な構成を思いつく。それでも彼は聴いただけで、素敵なリフを付け加えてくれるんだ…。

彼の家で作業をしている時、お互いが作ってきたものを聴かせ合っていると、彼はよく言ったものだ。「スメリー、曲自身に語らせるんだ」。僕は「オーケー」。彼は「もし曲が何かを必要としていたら、曲が教えてくれる。曲に語らせるんだ」。僕はそうする事を学んだ。素晴らしい作曲家になるカギは、ただ曲を書く事ではない。そんな所からは離れるんだ。神が入って来られるよう、その場から立ち退く事だ。何かをうまく書けた時は、僕はひざまずいて「ありがとう」と言う。「ありがとう、エホバ!」とね。

−最近、そういった気持ちになったのはいつですか?

MJ ごく最近だよ。僕はいつだって曲を書いている。うまくいくと分かる時は「何かが来る」と感じる時がある。それはまるで妊娠、身ごもるようなものだ。感情的になり、何かが身ごもったような気分になり、魔法が現れるんだ!何かが爆発するような感じで、とても美しい。ワオ!ついに出てきた。こうして出来上がる。美しいものだよ。そこは12の音階で行ける宇宙なんだ。

(今、マイケルはiPhoneで再生されているBillie Jeanの初期のデモ・ヴァージョンを聴いている)

曲を書く時、コーラスを聴くために、コーラスが気に入るか試すために、まずは荒い大まかなヴァージョンを作る。大まかな作りでも納得がいく場合は、うまくいくんだ。聴いてみてよ、これは自宅で録ったんだよ。ジャネットとランディと僕と…ジャネットと僕が「フー、フー、フー、フー」って歌ってるね(笑)。僕はどの曲でも同じやり方なんだ。メロディだ、メロディこそが最も重要。メロディに納得して、下書きが気に入るようだったら、次へ進む。頭の中で良い響きのものは、実際にやってみても大体良い。気持ちを書き起こすという発想だよ。

ベースラインが主役のように際立って目立つBillie Jeanのような曲では、主に聴こえるリフを自分の理想の形へと持っていくまでに、多くの時間がかかる。4つのベース音が聴こえるだろう?それぞれが異なった性格を見せ、それが個性につながるんだ。なかなか大変だけどね。

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−もうひとつの晴れ舞台はモータウン25でのパフォーマンスでした。

MJ たまたま、Beat Itの編集をモータウンのスタジオでやっていた時の事だ。モータウンを離れてからだいぶ経っていたんだけど、そこに僕の大好きなスージー・イケダという素敵な日系人の女性もいた。この女性は僕が小さかった頃、モータウンにいた。その頃、僕は「マイケル・ジャクソン」と書かれた小さなリンゴの木箱の上に立っていた。彼女の仕事は僕のマイクの高さを合わせる事だった。僕は歌うと踊りたくなるから、彼女はマイクを調整してくれていたんだ。

彼女もたまたまスタジオにいて、何をやっているのと聞くから、編集を終えたところだよと答えた。Beat Itの映像を見せたら、すっかり固まって「オー・マイ・ゴッド」と言ってたよ。それから彼女がベリー・ゴーディーに伝えて、こりゃ何かありそうだなと感じた。彼らはモータウンの記念祭の準備に取り掛かっていたんだけど、ベリーがやって来て僕に「ショーに出たいか?」と尋ねた(笑)。僕は「ノー」と答えた。Thrillerに関する構想を練り上げている最中だったからね。彼は「いいか、これは記念祭なんだぞ」。そこで僕は言った。「オーケー、じゃあやるよ。やるけど、もし…僕に1曲だけ、モータウン以外の曲をやらせてくれたらね」。彼が「それは何だ?」と聞くから「Billie Jean」。すると彼は「オーケー、いいだろう」。僕は思わず「本当にBillie Jeanをやらせてくれるの?」って(笑)。彼は「あぁ」。僕も「オーケー、分かった」。

そこから2〜3日のうちに、僕はリハーサルをし、振付をし、兄弟たちに衣装を合わせ、メドレー用の曲を選んだ。それだけではなく、カメラアングルの調整もしなければならない。僕は監督から編集から、何でもする。みんなが目にするショットはすべて、僕の選んだショットなんだ。何故こんな事をするかと言えば、僕は6台のカメラを用意するんだけど、いかなるパフォーマンスの時でもきちんと撮っておかなければ、人々は二度と観る事ができないんだよ。これって世界一自己中心的なメディアだよね。観てもらいたいもの、観てもらいたい時、観てもらいたい方法、観てもらいたい順番を撮っているわけだから。アングルでもショットでも、その場の思いのすべてを作り上げるんだ。僕には自分が観たいものが分かる。観客の気持ちも分かるし、カムバックを果たすために自分に何が必要かも分かる。パフォーマンスしている最中に感じるから、分かるんだ。映像を編集する時は、その思いを再現しようとしている。

−いつ頃からそのような考え方でやっていたのですか?

MJ 小さい頃からだよ。兄弟たちと一緒にね。父はよく「マイケル、みんなにやってみせろ」と言ってたよ。

−兄弟たちは嫉妬しませんでしたか?

MJ 誰もそんな素振りは見せなかったよ。でもきっと辛かったと思う。僕はリハーサル中や練習中は叩かれる事はなかったからね(笑)。でも結局はトラブルに巻き込まれてしまうんだけど(笑)。そうなんだよ、罰を受けるのはその後なんだ。父はベルトを片手にリハーサルをしていた。失敗は許されない。父は、ステージでの振舞い方や観客の操り方を教えたり、次にやるべき事を予測したりするのは天才的だった。体の具合が悪くとも、何かがうまくいっていなくとも、観客にそれを悟られるな、ってね。父はそんな風に凄かった。

−あなたのお子さんたちもそれをやっているのですか?

MJ やるけど、恥ずかしがってしまうんだ。それでも時々、僕のためにやってくれる。

−エンターテイナーとして…MTVは黒人アーティストの作品を流しませんでした。あなたにとって、それはどれほど辛いものだったんでしょうか?

MJ 流すつもりはないと言われて傷ついたよ。でもそこで火が点いたんだ。僕は自分に言った。「何か凄い事をやってやるぞ…無視されるのはごめんだ」と。Billie Jeanは「流す予定はない」と言われた。それで当時CBSレコードの社長だったウォルター・イェトニコフが「よし分かった。それならバーブラ・ストライサンドも、シカゴも、ニール・ダイアモンドも流させない」と言ったんだ。

その後Billie Jeanが流れるようになると、新たな記録を打ち立て始めた。MTVは僕が持っているものすべてを求めてきたよ。閉じられていたドアをぶち破ったんだ。プリンスも出てきて、他のすべての黒人アーティストたちに扉が開かれた。それまでは24時間ヘヴィーメタルばかりで、まともじゃない映像のごった煮だったからね…。他のアーティストたちから、よく言われたものだよ。「マイケル、あなたがいなかったらMTVもなかっただろう」。個人的に何度も何度もそう言われた。あの当時、そんな裏話は誰も知らなかっただろう…MTVが悪意をもってそうしていたとは思わないけどね(笑)。

−それが現在のビデオ時代の幕開けとなったわけですね。

MJ MTVはよく観ていた。兄のジャッキーがこんな風に言ってきたのは忘れられない。「マイケル、このチャンネル観てみろよ。これはいいアイデアだ。音楽を24時間流している…1日24時間だぞ!」。それで色々と観てみたんだけど「もう少し娯楽性やストーリー、ダンスを加えてみたらもっと人気が出るのに」と思った。僕がやるなら、始まりがあって、中間があって、終わりもあるストーリー性を持たせないと。そうすれば筋を追う事ができるだろう?筋が通ってなくちゃ。娯楽性があれば、次の展開も期待できる。Thriller、The Way You Make Me Feel、Bad、Smooth Criminalでそうした実験をして、監督や脚本の作業を始めたんだ。

−現在の音楽ビデオや音楽界についてどう思いますか?

MJ 音楽界は岐路に立たされているね。変革が起きている。人々は戸惑っている。何が起こるのか。いかにして音楽を流通させ、売り出すか。インターネットはある意味、みんなに大きな影響を与えた気がする。凄い力を持っているからね。子供たちはすっかり夢中だよ。世界中に指先ひとつでアクセス可能だ。知りたい事は何でも、交流したい相手は誰でも、どんな音楽でも、どんな映画でも…この事がみんなを動揺させている。現在、アーティストがスターバックスやウォルマートで販売する手法も出てきているけど、それが正解かどうかは分からない。

目の覚めるような素晴らしい音楽、それこそが大衆に訴えかけるものだと思う。人々は今も探し求めていると思うよ。今はまだ本当の音楽革命は起こっていない。でも素晴らしい音楽があれば、人々はそれを手に入れるために壁を打ち破るんだ。Thriller以前も似たようなものだったからね。音楽の売れ行きは悪かったんだ。Thrillerはみんなをレコード店へ呼び戻した。そんな現象が起きる時は起きるものなんだよ。

−誰が印象に残りますか?

MJ 芸術面で言えば、Ne-Yoは素晴らしい仕事をしていると思う。彼は凄くマイケル・ジャクソン的だけどね。でも、僕が彼を好きなのもそこなんだ。彼は作曲をよく理解していると言えるね。

−そういった若手アーティストたちとも仕事をしますか?

MJ もちろん。僕は相手が郵便配達員だろうと清掃業者だろうと、気にしないタイプなんだ。いい歌があればね。最も独創的なアイデアが、普通の人々から生まれる事もある。「こんなのはどう?これはどう?」って感じで。素晴らしいアイデアだったら、やってみるべきなんだ。クリス・ブラウンは素晴らしい。エイコンも、素晴らしいアーティストだ。

僕はいつも、自分以外の世代に刺激や影響を与えたいと思っている。彫刻であれ絵画であれ音楽であれ、自分が創造したものには生き続けてほしいと願うものだ。ミケランジェロが言ったように「創作者は消え去っても、作品は生き続ける。だからこそ私は死から逃れるため、作品に魂を縛り付けようとする」。これこそ、僕が感じている事だ。僕は自分の作品にすべてを捧げる。作品には、とにかく生き抜いてほしいんだ。

−歴史を変えた気分はいかがですか?それについて思いを馳せる事は?

MJ そうだね、よく考えるよ。僕らが扉を開き、旧習を打ち壊す手助けになった事は誇りに思う。ツアーで世界中を回ると、スタジアムでは音楽の影響力を目にする。ステージ上から眺めてみると、見渡す限り人の山なんだ。これは素晴らしい気分なんだけど、ひどい苦しみも襲ってくる。

−それはどうして?

MJ 頂点を極めた者や先駆者に対して、人々は攻撃を仕掛けてくる。トップにいると、攻撃を受けるものなんだ。でも、新記録を樹立させてもらったり、アルバムを最も売れた作品にしてくれたり、数々の曲をナンバー1ヒットに押し上げてくれた事など、僕は今でも感謝しているよ。僕は、父が居間で流すレイ・チャールズのアルバムをよく聴いていた。母からは、午前3時に「マイケル、あの人がテレビに出てるよ!」と起こされたものだ。テレビをつけると、ジェームス・ブラウンが出ている。「僕がやりたいのはこれだ」と言ってたよ。

−マイケル・ジャクソンには更なる期待をしてもいいですか?

MJ 沢山の曲を書いているところだよ。ほぼ毎日のようにスタジオにいる。今や主流になったラップも出てきた当初は、世界で通用するためにもっとメロディを取り入れるべきだと思っていた。だって、みんなが英語を理解するわけじゃないからね(笑)。英語圏だけに限られてしまう。でもメロディがあれば、誰でもそれを口ずさめる。フランスであろうと、中東であろうと、どこででも。ラップが世界中で受け入れられたのは、メロディを取り入れたからなんだ。アイルランドの農民、ハーレムのトイレ掃除の女性、口笛を吹ける人、指を鳴らす子供に至るまで、口ずさめるものでなくてはいけない。

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−間もなく50歳を迎えます。80歳になってもこれを続けていると思いますか?

MJ 実際のところは…う〜ん、思わないな。ジェームス・ブラウンやジャッキー・ウィルソンのようなやり方ではなく。彼らは全力疾走しすぎて、自らを追い込んでしまった。僕が思うに、ジェームスは仕事のペースを落として、もっとゆったりと自分の仕事の成果を味わう事もできたんじゃないかな。

−再びツアーに出ますか?

MJ 長期のツアーは、もう考えていない。でもツアーのいいところは、続けていくうちに技術が美しく研ぎ澄まされる点だよ。僕がブロードウェイのミュージカルを好きなのもそこだ。俳優たちは技術を磨くためにブロードウェイに出演する。優れたエンターテイナーになるには、何年もかかるからね。何年もだよ。取りあえず無名の誰かを捕まえてきて舞台に上げて、他の連中と競わせようとしたって無理な話。うまくいきやしない。観客にもそれは分かる、お見通しだよ。手の動かし方、体の動かし方、マイクの扱い方、お辞儀の仕方。すぐに見抜かれてしまうよ。

ところで、スティーヴィー・ワンダーは音楽の預言者だと思うんだ。彼もまた、名前を挙げておかなければならない1人だ。僕はよく「もっと曲を書きたい」と思っていた。プロデューサーチームのギャンブル&ハフや、ハル・デイヴィスとザ・コーポレーションがジャクソン・ファイヴのためにヒット曲を書いてくれるのを観察したものだ。僕は曲作りにおける解剖学を勉強したかったんだ。彼らはいつも、トラックを録り終えてから僕らをスタジオへ呼び、歌わせていた。トラックの作り方を見たかったから、僕はしょっちゅう腹を立てていたよ。ABCも、I Want You Backも、The Love You Saveも、トラックを録り終えた後だった。僕はすべてを体験したかったというのに。

その点、スティーヴィー・ワンダーは作業をそばで見せてくれた。最高傑作のひとつであるSongs In The Key Of Lifeのアルバムが作られていく過程を見る機会があった。マーヴィン・ゲイの仕事も見たなぁ…みんなよく僕らの家へ出入りしては、週末に兄弟たちとバスケをして遊んだ仲間なんだ。僕らはいつもそんな人たちに囲まれていた。だから、作曲にまつわる科学や解剖学、建築学を目の当たりにできるってのは素晴らしい事なんだよ。

−あなたは世界中のステージに立ってきました。今日の世界の情勢をどう考えますか?

MJ 地球規模での温暖化という苦しい状況を危惧しているよ。こうなる事は分かっていたけど、もう少し早く人々が関心を持ってくれてたらと思う。しかし決して遅すぎる事はない。この状況はもはや収拾がつかないと言われてきたけど、僕らが止めなければ、もう元には戻せないだろう。だから、僕らが元に戻さなくちゃ。これこそ僕がやろうとしてきた事なんだ。Earth Song、Heal The World、We Are The Worldなどの曲を書いて、人々の意識を開放させる。ひとつひとつの言葉に耳を傾けてくれたらと思う。

−次の大統領選挙についてどう思いますか?ヒラリー・クリントンか、バラク・オバマか?

MJ 正直に言うと、この話題には触れないよ。そういう風に教えられてきたんだ…人間が世界の問題を解決できるとは思っていない。できないんだよ。僕はそう思っている。僕らの手には負えない。考えてもみなよ、地震が起こる地面をコントロールする事はできない。津波が起こる海をコントロールする事はできない。嵐が起こる空をコントロールする事はできない。僕らは皆、神の手の内にあるんだ。人間はその点についてよく考えるべきだ。政治家たちには、赤ん坊や子供たちのために、もっと力になってあげてほしい。そうなったら素晴らしいと思わないか?

−赤ん坊と言えば、父親として25年前を振り返ってみて下さい。あの頃のマイケルと今のマイケルとの違いは何でしょう?

MJ あの頃のマイケルも、恐らくここにいるマイケルと同じだよ。僕はただ、いくつかの事は先に成し遂げておきたかったんだ。でも、頭の片隅には子供を持ち、子供を育てるという僕がやりたかった事が、常にあった。今はそれを心から楽しんでいるよ。

−あなたにまつわる噂や記事について、どう考えますか?これらをどう思いますか?

MJ 気にも留めないよ。僕に言わせれば、それは「無知」だよ。ほとんどは事実に基づいていない。結局は作り話。どこの町にも、滅多に顔を合わせない奴がいるだろう?すると世間は彼に関する陰口を叩くようになる。あいつがこんな事をした、あんな事をしたといった作り話ばかり。みんなおかしいよ!

僕は素晴らしい音楽をやりたいだけなんだ。

モータウン25を振り返ってみると、あれをやって良かったと思える部分は、パフォーマンスの後…あれは忘れない。舞台袖でマーヴィン・ゲイ、テンプテーションズ、スモーキー・ロビンソン、僕の兄弟たちが待っていて、みんな僕をハグしたりキスしたり抱きしめてくれたんだ。リチャード・プライヤーも歩み寄ってきて「今まで観た中で最高のパフォーマンスだった」と声をかけてくれた。これが僕にとってのご褒美だった。インディアナにいた子供の頃に聴いていた、マーヴィン・ゲイやテンプテーションズのような人々が僕を評価してくれるなんて、とにかく光栄だった。

翌日、フレッド・アステアが電話をくれて「昨夜の放送を観て、ビデオに録画しておいて、今朝また観たよ。君はとてつもないダンサーだ。昨夜、君は観客の度肝を抜いたんだ!」と言ってくれたよ。後にフレッドと会った時、彼は指でこうやってみせた(手のひらの上で2本の指でムーンウォークの真似をしてみせた)。

パフォーマンスをした時の事は鮮明に覚えていて、自分自身に腹が立ったのも覚えている。望んだ通りにはできなかったんだ。もっとうまくやりたかった。でも、ショーが終わる直前、小さなタキシードを着たユダヤ系の男の子がバックステージへやって来て、僕を見つめてこう言ったんだ。「誰があんな動きを教えてくれたの?」(笑)。僕は言った。「きっと神様だよ…それと、練習だろうね」。


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